大師のことば 弘法大師空海

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大師のことば 弘法大師空海

大師1

仏法遥かにあらず、心中にして即ち近し

仏の教えは、遥かに遠いところにあると思われるかもしれませんが、本当は意外に近いところ、即ち私たちの心の中に存在しているのです。

人間の心の奥深い部分にある潜在意識(清浄識といいます)には、欲も不満も怒りもなく、誰も皆持って生まれた清らかな慈悲と智慧だけがあるのです。

仏様が私たちの心の中にあることは、人は誰でも仏様になれる種を持っている ということです。仏様は人間がどうすれば道理に基づいた正しい生活ができるのかをご存じです。

その方法を仏法というのです。

お大師さまは、仏になる種をもっているだけではもったいないことです、大事に 育てて、生きている内に花を咲かせましょうと仰っているのです。

大師2

法身の三蜜は繊芥(せんかい=ちりあくたの事)に入れどもせばからず大虚(たいこ=宇宙の事)にわたれどもひろからず。

瓦石(がしゃく=かわらや石)草木を選ばず人天鬼畜を嫌わず。いずれの処にか遍ぜらるなに物をか摂せざらん。「吽字義」

仏さまのお身体、お言葉、御心のお働き『三蜜』は伸縮自在で、例えば細かいちりあくたの中に入っても狭くもなんともないしまた星の輝く大宇宙いっぱいに広がっても精一杯の大きさという事もないのです。

だから瓦や石や草や木の中でも人間や天人や善い鬼や悪い鬼や犬猫や牛馬などの中でも忌み嫌う事はなさらない

仏さまは万物に対してまったく平等であってどのような物体でも仏さまの三蜜の中に含まれないという事はないのです。

これが平等の本当の意味なのです。お大師さまの驚くべき御仏論なのです。

それほどに仏さまのお体は大きく、お言葉も思いもどこにでも通じているのです。

だから無機物(石ころ)の中、有機物(植物や動物)の中でも、天国の中、鬼の中でもどこにでも仏さまはいらっしゃるのです。あなたの中にも厳然として自身仏の仏さまがいらっしゃる。だから必ず救われますょとお大師さまはおっしゃっているのです。

大師3

身病(しんびょう)の要は四大と鬼(き)と業(ごう)なり(秘密曼荼羅十住心論)

人生は四苦八苦だといいます。四苦八苦とは、肉体の苦しみが四つと心の苦しみが四つであり、合わせて八苦となるそうです。

肉体の四苦とは「生老病死」と言って生まれる苦しみ、老いる苦しみ病気になる苦しみ、死ぬ苦しみの事です。その内の「病気」ですが四百四病と言われるほど種類が多く、どの病気にかかっても嫌なものです。

人間の肉体は「地水火風」の四つの要素で成り立っていると言われています。「地」とは骨とか肉をつくっている硬いもの、「水」は水分で「火」は体温やエネルギー、「風」は呼吸です。要するに四大とは肉体の事なのです。

ところがお大師さまは『病気と言うものは、四大の調子が悪くなる事だけが原因ではない』と 『鬼と業も共に原因となるのだ』とおっしゃっているのです。鬼というのは、心が鬼になることで、鬼の心を持つことです。鬼の心とは、例えば「嫉妬に狂った心」「恨みや憎悪に満ちた心」「残忍や残虐な心」などです。よく夜中に悪い夢をみて金縛りにあったり、恐ろしいものに追いかけられ、逃げようとしても手も足も動かず、声も出ないで脂汗を流す、また狐が乗り移ったように奇妙な事を言ったりする事があります。こんな心になるのは、心が鬼の病にかかった証拠です。

次に業というのは、人間生活の積み重ねの事を言います。毎日の行いを「行」といいますが、その積み重ねを「業」と言います。行いには「善行=ぜんぎょう」と「悪行=あくぎょう」があります。善い行いを続けていれば『善業』となり悪い行いを続けていれば『悪業』となります。清潔で規則正しい生活をしていれば病気になりませんが、自堕落で不摂生な生活をしていれば病気になるのは当たり前なのです。

お大師さまはその治療法について、こうおっしゃっています。

『四大の不調を治すには医者に見せて薬を呑むのが1番よい。鬼にたたられた病のときは陀羅尼(真言のこと)を唱えて祈祷するに限る

悪業による病を取り除くには、懺悔をして過去の過ちを悔い改めねば治らぬ』医者が治せるのは身病だけで、鬼病や業病は懺悔祈祷が治療法なのですね。

南無大師遍照金剛 

大師4

信心とは・・・一には澄浄の義 よく心性をして清浄明白ならしむる故に 「三昧耶戒序」

このご文は、釈摩カエン論巻第一の『信に十種の義あり』からの引用文です。

修行するとは、まず第一に心を澄ませて清らかにする事です。信仰をもって修行すると心が静まって清らかに明るくなって、正しく生きる自分の道が見えて来るのです。

ではどんな事を心がけていけばいいでしょう。私が心がけている事を書いてみます。

今に惑わされることなく永遠の生命に生きる。

仏さま、神さま、ご先祖さまは、霊界で生きていらっしゃいます。目に見えない世界を信じて、清浄に生きる。

仏さまは何事もお見通しです。思いと行いを正しく生きます。

白浄の信心に生きます。自身の心の奥底にみんなが持っている自性清浄心に心の座りをきちんとすえる。

出来るだけこのように生きたいと心がけていますが皆さんはどうでしょう?

大師5

もし善男子、善女人、比丘、比丘尼 清信男女(しょうしんなんにょ)等あって この乗に入って修行せんと思わんものは まず四種の心を発す(おこす)べし。 1つには信心、2つには大悲心 3つには勝義心、4つには大菩提心なり。 (三昧耶戒序)

もし心根のよい男の方、女の方、男僧、尼僧、心の清らかな在家信者の男女の方々があって、この真言密教の乗り物に乗って、信仰、修行、しようと思われる方々はまず始めに次の4つの心をおこしていただきたいのです。

1.『信心』・・・仏さま、お大師さまの教えが道理に合っている真理である事を自分で納得して心から信頼できる事。

2.『大悲心』・・すべての人々に対して、大慈大悲(だいじだいひ)の温かい心で接するようにする事。

3.『勝義心』・・教えにも色々な段階があるので、それぞれの法の薬の利益(りやく)はあるけれどもさらに勝れた高い教えを求め進んでやまない心をおこす事。

4.『大菩提心』・自分自身が成仏しよう。解脱しようと言う心をおこし、保ち続ける事。

このようにお大師さまはおっしゃっているのです。心にしっかりと留めたいものですね

大師6

 仏は忍辱(にんにく)の鎧(よろい)、精進の甲(かぶと)をもって 持戒(じかい)の馬に乗り定(じょう)のゆみ、恵(え)の箭(や)をもって 外には魔王の軍をくだき 内には煩悩の賊をほろぼす。故に仏と称するなり。「大日経開題」

仏さまは、(忍辱(にんにく)「心を和らげて耐え忍ぶ」と言う心の鎧(よろい)を着け 精進「目的に向ってたゆまず努力を続ける」の甲(かぶと)をかぶって 持戒(じかい)「人間として守らなければならない決まりや、道徳の法則を守る」の馬に乗って進み、禅定(心を静めて穏やかに落ち着いている)の弓をもって、知恵(正しく明るい判断力によって正と邪を見分ける)箭(や)で射て、外には悪魔の軍勢を破り、内には心のよからぬ迷いの賊を滅ぼしてしまう。

だから仏さまと言うのです。

さてそれでは、菩薩の修行法としては六波羅蜜の徳目があります。

1.壇・・・他人のためになる事をする。

2.戒・・・決まり、をきちんと守る。

3.忍・・・あせらない。おごらない。

4.進・・・常に注意力を集中する。

5.禅・・・感情のたかぶり、特に怒りを静める。

6.恵・・・物理的、心理的、両面の正しい的確な判断をする。

このように、六波羅蜜の鎧(よろい)や甲(かぶと)を心につけて生きるところに霊的な魔軍も、心の中の煩悩も滅ぼされて、涅槃(永遠のやすらぎ)の楽しい生活が、この世で出来るのです。

大師7

父子の親々たる 親の親たる事を知らず 夫婦の相愛たる 愛の愛たる事を覚らず 流水相続き 飛焔(ひえん)相助く いたずらに妄想の縄に縛られて 空しく無明の酒に酔えり(秘蔵宝鑰)

『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)は真言密教の中心思想である(十住心)を説き明かしたものですが、お大師さまは、菩提心の発展を十の段階に分けて説いていらっしゃいます。

このご文は家庭生活への反省のお言葉です。

親子はお互いに親しそうに見えているけれども、果たして本当の親子の深い縁を知っているでしょうか ? 夫婦はお互いに愛し合っているように見えますが、本当の慈愛によって結ばれているでしょうか ?

最近は親子の断絶は多くの家庭の問題になっていますが、これは青少年を持つ事ばかりにとらわれていますが、もっと深刻なのは、成人した子と年老いた親との問題なのです。これは社会問題でもあるのですが、都合の良い時だけ親子であり、親に経済力がなくなると見放してしまう例が増えているそうです。老人ホームの入居者の半分は子供のいる老人だそうです。親を親とも思わない子供にも問題があるのですが親の子育て、教育、躾けがいかに大切か思い知らされます。

一方、愛し合って結ばれた夫婦が、お互いに我をはり、思いやりを忘れ、忍耐せずに離別に到る例も増えています。悲しい事です。

それらは流水が相次いで流れ去り、火焔が次から次えと燃えては消え去るのに似ていると、お大師さまはおっしゃっているのです。

親子も夫婦もともに我に惑わされ妄想に流される事無く、真実の人間生活を見極めて、その深い因縁を覚らなければなりません。

南無大師遍照金剛

大師8

旦(あした)に四徳を螢き(みがき)晩(ゆうべ)に三宝を崇む(あがむ)(性霊集)

四徳とは「婦徳」「婦言」「婦容」「婦功」の四つの美徳の事です。

三宝とは「仏」「宝」「僧」の事でこれはお解かりですね。では四徳とは何でしょう ?

女性としての四つの美徳を言います。

1.婦徳・・・慈愛の心で子弟を教育し女性としての徳を磨く。(慈愛とは溺愛ではありません。間違いは正し良い時はしっかり誉める

2.婦容・・・優しい言葉で人に接する事(心の伴わない言葉は優しいとは言わない。)

3.婦容・・・常に身だしなみを整える事(身を飾る事に執着するのは煩悩)

4.婦功・・・家庭を守り家族のために尽くす事(親や夫、子供、兄弟のために最善を尽くす)

以上が四徳です。

男女同権になってから久しくその言葉が古く感じられる今日ですが、女性の地位は向上しました。世間のあらゆる方面で活躍しています。でも男女にはおのずから分野があり、特性や個性の違いがあり、役割も違うと常々申し上げておりますね。

女性には女性にしか出来ない役割もあるはずです。現代の社会は女性に大きな役割を与え、課題と期待は大きなものがあります。でも女性としての特性を失ってはいけません。心の美しさ、優しさ、慎ましさは女性を美しくします。

まして私たちは行者です。慈悲の心ですべての事柄を判断し、菩薩の心で行動し人々を導きましょうね。

南無大師遍照金剛

大師9

いずくんぞ己身の膏こうを療せずして たやすく他人の腫脚(はれあし)を発露(あらわす)や「三教指帰」

無責任な自分を棚に上げて、悪い事はすべて世の中や他人のせいにする。

とくに現今考えなければならないことですね。そねみの心、これが人間の最も汚い心です。これを仏教では瞋恚(しんに)の心と言います。他人の幸せをねたむ最低の心です。自分の事を棚に上げて他人の欠点をあばきたがるのも人の世の常といえます。瞋恚の心がなくなればそれ1つでもその人は聖人と言われ、妙好人と言われるでしょう。

このお大師さまのお言葉も他人の欠点を暴き人の足を引っ張る汚い心を戒められたものです。

自分の膏こう(難病)を治療しないで他人の足に出来た腫れ物をとやかく批判するのは主客転倒もはなはだしいと言う事で何よりも早く自分の病を癒す事が先決であり自分が身心共に健康であってこそ他の事について物が言えるのです。

南無大師遍照金剛

大師10

雪蛍(せっけい)をなお怠るにとりひしぎ縄錘(じょうすい)の勤めざるに怒る。「三教指帰(さんごうしいき)」

お大師様は十九歳より「三教指帰」をお書きになられ、六十二歳で高野山にご入定されるまで、数多くの聖業(せいぎょう=尊い行い)をされながら、沢山の文章を世に残されました。

それは人間わざではなく膨大(ぼうだい)でしかも流麗に真理を表現されています。

お大師さまは、小さい頃から「神童」とか「貴物(とおともの)」と呼ばれていましたが、自己の天分に甘んじていたのではありません。少年時代に凄まじい勉学に打ち込まれた事を「三教指帰」に書かれています。天性の才能に不断の努力を重ねてこそ、事は成就するのです。

今は古い歌となりましたが、「蛍の光、窓の雪」をしのぐ少年時代の勉強こそ、お大師さまの素養を豊かにし、偉大な方にしたのです。

(雪蛍)とは古い中国の故事で孫康(そんこう)は家が貧しく雪の明りで読書し、車胤(しゃいん)は蛍の光で勉強しました。(縄錘)とは孫敬(そんけい)と言う人、首に縄をかけて睡魔と戦い、蘇秦(そしん)はももに、キリを刺して勉強に励んだと言われます。

お大師さまはこの故事を偲んで猛勉強されたのです。

凡人の私達はそれ以上とは言いませんが何事にも精進努力もせずにご利益ばかり求めるのは、ちょっと恥ずかしい事だと思うのです。

南無大師遍照金剛